三回目の石巻

 先週は初めて石巻市の大川小学校へ行きました。ニュースや新聞で見たことある人もいるかな。児童の7割以上が津波にさらわれ亡くなった学校です。現地に立つと、校舎の後ろは切り立った山に囲まれ、目の前には川が流れていて、近くの集落も壊滅状態で、あぁ、どうしようもなかったんだな・・・っていうのが一目で分かる。震災当日、海なんて見えないくらい遠く離れている場所なのに、川に津波が流れ込み鉄砲水のように押し寄せた。
 小学校の敷地は自由に入ることができます。すでに日差しの強い夏の朝。初めてですよね、活動前に見て下さいと仲間に言われ、一回り歩かせてもらいました。半円状の二階建ての校舎で、その中心は中庭のようになっている。花壇もあって美しい造り。笑いの絶えないきれいな学校だったんだろうなって思いました。きっと、通うのが楽しかっただろうなって。その校舎の二階の天井までもが津波により失われていました。
 中庭に立って、少し辺りを見回してみました。渡り廊下も落ち、破壊された校舎の間から光が差し、まるで遺跡のように感じます。何年も経ったような重みを感じ、美しく静謐で、とても人が生活をしていたような気がしない。でも、その重みはきっと人の命の重さで、多くの人の思いや悲しみがあの校舎にはしみ込んでいる。もう、単なる建物じゃないんだよね。辺りから、多くの重機が土を掘り返す音、行き交う人の声が聞こえ我に返りました。人の気配を感じられないことが、本当に涙が出るほど悲しかった。彼らの命と将来だけではなく、生活していた痕跡までも一瞬でさらっていったんだ。
 震災から4ヶ月以上経った今でも、小学校の校庭では遺体の捜索が行われています。毎日、花が供えられています。ひっきりなしに手を合わせる人が訪れます。亡くなった子どもたちが発見されるのを待っています。東京にいると忘れちゃうよね。でも、まだ何も終わってないんです。
 本当に少しだけ、遺留品の洗浄を手伝いました。今回は、あとは他のこと。また、行かないとなって思っています。


 余談ですが、もし、東京で今回と同じ規模の津波が押し寄せたらどうなるんでしょうね。まぁ、色々な話があるから分からないんだけど大きな被害は出るでしょう。
 海から大川小学校までは、大体、東京湾から浅草までの距離と同じです。津波が来るぞって言われて、浅草が水没することを即座に想像することは難しい、と思います。本当に難しい。