落合多武展「スパイと失敗とその登場について」@ワタリウム美術館(外苑前)


watari-um - exhibition - 落合多武展 tamu ochiai


 ワタリウム美術館は、主にアウトサイダーアートの展示に力を入れている私設美術館です。アウトサイダーアートっていうのは、全然美術の勉強をしたことがない人が制作した作品って感じですかね。とくに芸術の分野の教養がなくても、感性の優れている人は良い作品を作ることがあります。たとえば、子どもたち。とくに考えていなくても、はっとするような良い絵を描いたりするじゃない。ピカソやクレーは生涯、子どものような絵を目指したそうですよ。
 ちなみに、この美術館の良いところはパスポート制をとっているところです。一度料金を支払えば、会期中なら何回でも行けちゃうんですね。素晴らしい。


 今回の展覧会はアウトサイダーアートではないのだけど、ドローイング中心の展覧会なので、ちょっと性格は似ているかもしれません。ドローイングとは、直訳すると「描くこと」です。つまりは幅広い意味での描くという行為のことを言います。紙の端に書き付けたアイデア、何も考えずに筆を走らせた結果生まれた線、感情を叩き付けたようなシミ。そういったものまで含まれます。

スパイの活動とは南はどこからどこまでだろうかと考える事に似ている、
南に行けばいつかは南極に着き,その後は北に向かう、
南に向かうとは北に向かう事であるのだ、スパイの活動は普段目にはみえないが、
そのスパイが失敗した時に初めて明らかになる、

 冒頭に示されるのは、この一文。深読みすると、今回の展覧会はタブロー(完成作品)を見せるのではなく、作家の制作プロセスを明らかにするためのものであったと思います。本展覧会の作品は、場合によっては子どもの落書きのよう。でも、どのようなことを考えて制作しているのかを如実に物語っています。ちょっと一例を挙げますね。

「 地球上で一番高い所にマンハッタンで行くビデオ」

 これなんて面白いかもなぁ。作家が日々上っている階段がある。ある日、その階段を毎日上り続けていたら、そのうちエベレストと同じ高さに至るんじゃないかと考えて、映像として記録を始める。
 普通、考えないじゃない。それを形にしてしまうところがいいよね。

「 ブロークンカメラ 」

 ある時ビデオカメラを再生しようとしたら、カメラが壊れていて、映像はめちゃくちゃになっていた。それを面白いと感じて、「再生する度に違ったエフェクトがかかる、天気のように変化する機械」なんだと捉え直す。そして、そのビデオを使ってビデオインスタレーション作品を作る。普通、壊れたビデオは壊れたビデオとしか考えないのだろうけど、そこを面白い効果だと感じるところが素晴らしい。


 展覧会の結びの一文は、こんなふうに書かれていました。

アートは自由なものか?というのは重要な問題だ、
アートとは新しく星を発見する事に似ていると思う、
何万年?前からすでに存在する星を見つけるという事は限りなく自由に近い不自由である、
どこかの池で魚をかじっている猫を釣る事のように、
1歩と1万歩がくっついていく事だ。


 制作っていうのは色々なことを考え尽くして、誰もやっていないことってなんだろうって探る作業なのだろうと思います。
 美術館内はエレベーターで移動するんですが、帰りに回り道。外階段を使ってみました。降りる途中で、ビルだらけの外苑前をすーっと爽やかな風が吹き抜けて、その瞬間にいつもと違った顔を見たような気がしました。
 芸術家っていうのは、そういった一瞬に出会うために延々と回り道をし続けるものなのかもしれませんね。


 少し好みの別れる展覧会です。変わった視点から作られた作品を観たい人は、行ってみると面白いと思いますよ。


<7/27追記>
 こちらで詳しく紹介されているのを発見しました。興味のある人はぜひ。