一年経ちました。

 この一年、ばたばたしてました。石巻では作業、東京では石巻での活動のために各団体とミーティングなどを慌ただしくしていました。でも、結局何が出来たのかなぁなんて思ってます。


 石巻に大事な友達や仲間ができました。大切な土地になりました。何かしたいって常に思うようになりました。
 でも、私はそんなに大した人間じゃないので、無理はしちゃいけないなって思っています。自分に抱えきれる範囲で続けていくことが大切かなって。手の平に収まる大きさの活動っていうのかな。そんなイメージで。抱えきれなくなった時点で、続けていくことができなくなってしまう。それが一番怖いです。
 人はよく「誰か他の人がいるじゃない」って言います。この一年で感じたことは、そんな人はいないっていうことです。本当に多くの人が自分がやらなくても誰かがやるに違いない、そう思っています。そして、誰かがやっているなら行ってみたいって気分が蔓延していて、現地で主体的に活動している人や受け入れる立場の人は本当に少ないんですよね。だから、人が足りていない。
 現地で自分で始めることって、実は難しそうに見えて難しくないんですよね。どんな形でもいいから数回行って、現地の人と仲良くなって、どんなことをすればいいのか考えて、自分で続けられる程度の規模で始めること。それだけでいいと思うんです。一度も行かずに考えたり、もっと役に立つことって考えて規模を大きくしすぎちゃうから、おかしくなる。
 もっと、現地で規模の小さな活動が増えていかないかな。。。


 自分にできることを何でもいいから始めよう!って言葉もよく聞きます。うん、いいことですよね。でも、そこは少しだけ違うと思うんだな。「自分にできて被災地の人たちのためになることってなんだろうって考えながら気軽に始めてみよう!」って思っています。(ちょっと長いね)
 先日、石巻市役所の仲の良い人と話をしていました。その人は家に帰ると食卓に食べきれないくらいのお菓子が乗っているんだそうです。震災前には見たことがないようなおいしいお菓子。聞くとボランティアが配っていたんだそうです。止めて欲しいって言っていました。いまだに炊き出しをしているのとかを見ても、止めて欲しいって思うんだそうです。みんなが駄目になる・・・って感じるんだそうです。
 何でもやるのは簡単なんです。物を配れば喜ばれるんです。ありがとうって言われるんです。でもね。それって、被災地に住んでいる人には本当に必要なのかな。。。今、食べるのに困っている人っているのかな。
 でも、考えるほどによく分からなくなってきます。その人のためになることなんて考えられるようなもんなのかな、とか思う時もある。よく分からない。

 

 少なくとも、悩みながら活動を続けたいな。願わくば目立たなくていいから隣にそっと居続けたいと願っています。



 多くの亡くなられた方たちのご冥福を心からお祈りいたします。そして、今、被災地で辛い思いを抱えている人たちの幸せと平穏な生活を願っています。