被災地での活動が一つの区切りを迎えました。

 ちょっと検索避けるために色々と伏せて書いてみます。今まで続けてきた活動がようやく一段落しました。ふー、忙しかった。つらつら書きますので、まとまらなかったらごめんなさい。
 1月に展示が終わってから、どうにかできないかと思って、市に提案書を提出しました。ざっとA4用紙40枚程度。内容は再公開に向けてこんな形を用意できるから、市の事業として進めましょうっていうものです。色々な思いがこもっていました。
 それから市と協議を重ね、毎週のように色々な団体と打ち合わせをしながら進めてきました。そして、先月、このような形で実を結びました。
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20120727ddlk04040004000c.html
http://ishinomaki.keizai.biz/headline/79/
http://www.city.ishinomaki.lg.jp/bousai/syasinnkoukaipro.jsp
http://www.edtt311.info/2012/08/15/1184
 まぁ、うまくいかなかったこともたくさんあります。でも、僕たちの続けてきた活動をどう終わらせるかというのは明確でした。ボランティアはいつか居なくなります。だから、地元に引き継ぐことを目的としてきました。


 公開初日。開所式が行われると聞いたので行かせてもらいました。公開される場所は、瓦礫処理施設です。工事車両がひっきりなしに通るし、海は近いし、瓦礫の山だし。でも、その片隅にプレハブ小屋が立ちました。写真を探せるように。
 僕たちは歴代のボランティアリーダーを集めて、後ろからそっと見守らせてもらいました。一番遠い人は岡山から。そのまま現地で力を尽くしたいと住み着いた人もいます。みんなやっと引き継げたなぁって思いで集まりました。・・・ま、でもそっと見守ることはできずに、市役所の人たちに手を引かれ席に座らされてしまいました。おー!よく来たな!みたいな感じで。断っても断りきれず、最後は腕を掴まれて「始められないから早く座ってくれ!」とか言われたり(笑
 開所式が終わってから市の方にこう言われました。「これで今まで頑張ってくれたボランティアの思いに応えることができます。一枚でも多く返却しますね。」


 先日、僕たちのfacebookページに被災者の方からコメントをいただきました。電車の車内で読んで、思わず涙が出てしまって、まずいなーって。
 そこに書かれていたのは写真を見つけられた方からのコメントでした。震災で家族を亡くしたこと、家族の姿や遺留品を求め被災地を歩き回る帰りに写真を探しに来ていたこと、そこで家族の写真を見つけたことが僕たちにしか分からない整理番号とともに書かれていました。そういう話を聞くのは珍しいことではありません。直接感謝の気持ちを言われることもあります。でも、誠実に伝えようとしてくれることが嬉しかった。どんな気持ちで書いてくれたんだろうって。


 この間は、被災地で出会った現地の友達夫婦に子どもが生まれました。震災後に僕と出会い、酒を呑んで酔っぱらって色々な話をして、一緒に活動を始めた仲間です。こう言うのは良くないかもしれないけど多くの人が亡くなった場所でどこへ行ってもそんな話が溢れている土地で、新しい命が生まれるってすごいなって思って、なんか無性に泣けました。人間ってすげーよ!って。
 まだ、会ってないんだよね。膝の上に赤ちゃん乗せて酒呑む約束してるんです。ふっふ。


 造形教室では、来て下さる方の笑顔が増えました。始めた頃は泣いてしまう方が何人か居たのですけど、最近は笑い声が絶えません。毎月、楽しいって言って下さいました。辛いことも思い出してしまうことも多いんです、でも、物を作っている時は忘れられるから嬉しいんですって。


 なんでボランティアやってんの?って聞かれます。多分、関わったことのない人との温度差もすごくあって、なんでそんなに暑苦しいこと言ってんだって思われることもあると思います。単なるボランティアじゃなくなってますしね。自分で団体を立ち上げてお金を集めて毎月活動したり、責任者になって行政に掛け合ってプロジェクトの形を作ったり。
 理由は俺にも分かりません。使命感だけではないと思います。一言で言っちゃうとあの人たちが好きなんです。関わっている人たちのために何かできないかなって考えているだけなんだと思います。


 ま、少し落ち着きそうです。放置していたブログ、頑張りますー。